努力していると勘違い。努力は主観の何物でもない

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自分は努力していると勘違いしている人は成長できないですね。そもそも努力はなんのためにするのでしょうか。自己成長のため?お客さまのため?社会貢献のためでしょうか。

どっちにしても何かを成し遂げるために頑張るのですよね。単に楽しめればいいとは思っていないハズです。それは趣味の世界ですから。

ビジネスで何かしらの成果を残す。ビジネスでなくても自分の限界にチャレンジして突破したいんですよね。で、あればそこは目標達成にこだわらなければいけません。

 

私は結果主義者ではなく、プロセス主義者なんで、目標達成に取り組んでいるその1つひとつの取り組みが一番重要だと考えています。

そうであったとしても、目標に向かって1つひとつの取り組みが次につながっていないと意味がない。もし成長できていないのであれば、「努力しているから」は言い訳にしかならないのです。

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どのレベルで努力を繰り返せるのか

本人が「努力している」と言っても、本当にできることをすべてやったのか。考えうるべき手段を真剣にやってみたのかどうかなんですよね。

前職の公認会計士講座の講師をしている時に、何度も「努力」の意味について考えさせられました。公認会計士受験生は、ほとんどの人が1日中勉強しています。朝から晩までです。

本当に努力をしている人は早朝7:00~夜22:00まで自習室で勉強しているのです。私は講師をやっていましたので、いろいろな受験生の行動や成績の推移を知ることができたんですね。

 

勉強時間だけではなく、成績があがらないのであれば、講師に勉強方法をひたすら聞いてやり方を変えたり、試行錯誤をしながら成績をあげる努力をひたすら繰り返しています。

それでも、なかなか成績があがらずに苦しむ受験生も山ほどいるわけです。そこで諦めたら終わり。「私はこれ以上ないというほど努力をしたので悔いはありません」と。

それで終わってしまうのか、「もうちょっと細部にわたって見直して努力してみます」と考えられるかどうか。で、最後まで粘り切って努力を続けてきた受験生が合格するのです。

「自分なり」の努力は落とし穴

「自分なりに努力してきた」というのは一種の自己防衛機能なんですよね。そう、自分を責めすぎないようにする。自分のことを自分で守ってあげないといけないのです。で、「自分なりに頑張った」という結論をだす。

そうですね。自分らしく生きることは幸せになるためにはすごく重要なことなんで、「自分なり」の努力をしたことを自身で認めてあげないといけません。

 

でも、ちょっと待ってくださいね。その「自分なり」の努力というのものが、本当に自分が望んでいることを達成するための努力には足りないのであれば、それでいいのでしょうか。

自分の能力に限界を設けてあきらめて、自分なりの縮小された夢実現をすることで幸せになっていけるのでしょうか。「なにくそ」って歯をくいしばってしがみつく。

苦しくて息がつまる体験をして、そこから這い上がる努力をやってみることが、深い人生につながっていくのではないかと思うのは私だけでしょうか。「自分なりの努力をしたので」という逃げの言葉を使ってしまうことで、自分の能力を過小評価したことになると思うのです。

努力していると勘違い。努力は主観

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「努力している」というのは、自分の判断なんですね。努力は客観的に測りにくいものです。ま、主観の何ものでもありません。

あなたが努力をしていると言っても、もっと努力している人から見ると、「そんなの努力しているうちには入らないでしょ」と。そう、これも主観なんです。どこまでいっても努力の尺度は自分の中にしかありません。

 

ビジネスでも勉強でも運動でも、何かを成し遂げたいと思う。で、そこに到達するために「取り組む行動」があって、一筋縄ではいかないときに「努力」が必要になるわけです。

到達したいと強く思う気持ちがあれば、「努力」は無限にできるはずなんですよね。想いが弱いと自分の能力をダメ出しをしてしまって終わり。

「自分なりに努力してきた」という言葉を封印して、「まだまだこれから!まだできることが山ほどある!」と踏ん張って、そのプロセスを楽しむ。これが究極の成功法則なんですよ。

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